2012年5月23日水曜日

今年の夏はどこへ行こうか

ワークキャンプ

1年目の参加理由は【なんか楽しそうやん】
2年目の参加理由は【今年は私がキャンプを作りたい】

じゃあ、3年目の参加理由はどうしたらいいのだろう?

毎年行ってるから、そんなんじゃない
韓国語が話せるから、そんなことどうでもいい
去年総リーダーだったし、それは関係ない

中国キャンプの話を聞けば、中国キャンプに行ってみたくなる
でも、私は中国のことを知らない

インドネシアキャンプもいいなぁと思う
でも、私はインドネシアについて何も知らない


3年目ともなると、ワークキャンプの魅力について語ったり
勧誘することも慣れてきた

韓国語が勉強したいという子には、去年は何も喋れなかった子が
具体的にこれぐらい喋れるようになったよと言い

ボランティアに興味がある子には、ボランティアは自分が何かしてあげるんじゃなくて
それ以上に得るものがあるから楽しいんだと熱弁し

でも、本当は自分自身が一番迷ってる

今年のキャンプもきっと楽しい
今年のキャンプできっと新しいことを学べる
今年のキャンプできっと韓国語がうまくなる

きっとそうなんだろうけど、なんでこんなに迷っているのだろうか
本当はどこに行きたいのだろうか0

____


感染症医である高山義浩さんの
『海外でボランティアをしたい君たちへ

https://aspara.asahi.com/blog/border/entry/aJnyzOaVbX

2012年5月14日月曜日

母の日

やらなきゃいけないことはいっぱいあるんだけど
何をしたらいいのか分かんないよーヽ(`・ω・´)ノ
とりあえず、来週の定例会までにいろいろガンバろう!

今日は、5月の第2土曜日、母の日♪
去年の夏、気仙沼に震災復興のボランティアに行ったときに
出会った唐桑町のマドンナ!いちよさんにカーネーション送ったら
めちゃめちゃ喜んでくれてすぐ電話かけてきてくれた

春休み行くよ、ゴールデンウィークいくよ、がどんどん先延ばしになって
なかなか行けない気仙沼
東海委員会や関東委員会がちょくちょく行ってるの見るとほんまに羨ましい(´・ω・`)
やっぱり大阪から気仙沼は遠いなあって思うけど
東海の弾丸1泊2日ツアーとかみてると気持ちの問題なんやと思う

どうせ行くならせめて1週間は滞在したいと思う私はほんまに腰が重い…
でも、夏休みには絶対行く!
夏休みどのキャンプに行くか実は迷い中やけど唐桑だけは最低でも1週間は行きたいな
なんなら移住したいもんw
唐桑のためになにかしたいって1年住むって決めた子たちはすごいと思うと同時に
本当はめっちゃ羨ましい
私だったらそこまで覚悟できるのかな?

でも、ワークキャンプを通じて出会った人との関係は大切にしたいから
今回の母の日でもそうやけど、ちょっとしたことで大切な人が喜んでくれたら
それはとってもうれしいなって

いちよさんの電話で
「1年も来ないと忘れられちゃうから早くおいでー
あ、でもジェニーはみんな覚えてるから大丈夫かー」って笑って言われたけど
2週間程度しかいなかったのにそんなに覚えててくれることが
私もめっちゃ嬉しかったぜ(`・ω・´)

社会問題、差別への取り組み、ハンセン病、歴史問題、被災地復興、ボランティア…
ワークキャンプにはいろいろな側面があって、考え出したらなかなかうまく整理できないことも
いっぱいあるけれど、結局ワークキャンプを通じて大切だと思う人に出会えて
その関係がずっと続くならそれが全てじゃないんかなと思います
私は、ワークキャンプという活動を通して“人と人のつながり”ができることが理想だから
去年、総リーダーをしたキャンプではその部分を押し付けすぎちゃったかなとも思うけど
でも、”人と人のつながりを大切にしたい”というテーマはずっとぶれないでいたいなと思うのです


いちよさんのブログ
森屋水産 気仙沼つなぎ牡蠣の仕事
http://moriyasuisan.blog.fc2.com/

2012年5月6日日曜日

初キャンプ 【JENNY】

交流の家に着いて、みんなが揃ったところで
準備キャンプの始まり、始まり

とりあえず、やっぱり最初は自己紹介から

「関西学院大学国際学部1回の片井有紀恵です。
えっとーゆきえって韓国人は呼びにくいと思うので
なんかニックネームとかあったらいいなって思ってます」

「なんかJENNYっぽくない?」


【JENNY】

私は、FIWCでJENNYと呼ばれています
そのきっかけになったのが初めて参加した準備キャンプでした
いやあ、もう気がつけばJENNY歴3年目なのですね
こんな呼ばれ方になった理由はほんまに単純で
JENNYっぽいからです
どこがJENNYなのかは、名付け親に聞いてみてください
ちなみに名づけ親はジェシカです

でも、なんかJENNYって呼ばれだして3年もたつと
どんどんJENNYらしくなってる気がするのです
名は体をあらわすといいますが、間違いなく
FIWCにおける私は片井ではなくJENNYでございます






2012年5月2日水曜日

初キャンプ 【交流の家】

2010年、夏
何かに導かれるように、私はFIWCの新人キャンパーになっていました

韓国キョンギ道ヤンピョン郡サンロク村
そう、何かに導かれるように私はその小さな村に行くことになったのです

8月5日から8月18日までの15日間
あっという間だろうと正直、高を括っていました
本当はそんなこと全然なかったんですが


2010年、夏
ワークキャンプもハンセン病もFIWCも
何も知らない私がまず始めに出会った新しいもの

【交流の家】

交流の家と書いて「むすびのいえ」と読みます
1963年、ハンセン病快復者が宿泊施設の利用を拒否された事を知った
FIWC関西のメンバーが呼びかけ、奈良市の大倭紫陽花邑から土地の提供を受けて、
ハンセン病快復者と社会を結ぶセンターとして、1967年にフレンズ国際労働キャンプ
(FIWC)関西委員会によって建設されました。(参考mognet:http://www.mognet.org/index.html

韓国キャンプに行くための基礎知識の勉強と結束会のために準備キャンプという2泊3日の
集まりがあるのですが、その開催地が奈良県にある交流の家なのです

ちなみに交流の家、準備キャンプ以外にも月に1度の定例会が行われる場所であり
FIWC関西委員会の本拠地となっています


交流の家、名前の通り、家です
ちょっとレトロな昭和の香りは否めないですが、ちゃんとした家なんです
この家もFIWCが作ったんだよーと聞いたとき、なんだか私はものすごい団体に
参加することになってしまったんだと実感しました

だって、差別せず誰でも泊まれる宿泊施設があればいいなってところから
実際建てちゃいますか!?
しかも、建設当時のFIWCのメンバーは大工とかペンキ屋のプロ集団とか
そんなんじゃないんですよ
人間やれば出来るっていうけど、家も頑張れば建てれるものなんですね

鉄筋2階立て、3LDK、お風呂・トイレは勿論セパレート
女子トイレ・男子トイレも別々で、BBQが出来る庭も付いてるし
押入れもあって収納バツグンですし、キッチンも3口コンロでらくらく調理
そんな交流の家、出会ったときはビックリしたけど
今では落ち着く大好きな家となっています