2012年11月25日日曜日

卒業論文

卒業論文でハンセン病のことが書きたいけど
テーマに悩んでる

ハンセン病とはなにか
差別から裁判にかけて
歴史を忘れないために


そんな論文誰でも書ける
ハンセン病に関する本も多くあるし
テーマとしては簡単で

だから、そんなんじゃなくて
もっと私が大学生活において
ワークキャンプを通して

強さ とか 赦し とか 死生観 とか
いろんなことを教えてもらって
だからこそ 書きたいってことが
いまいち 具体的に 出てこなくて

韓国の定着村のこと?
中国政府と隔離村の話?
療養所?断種?強制労働?重監房?

何を書けばいいんだろう

そして、何を書けば納得してもらえるんだろう

2012年11月6日火曜日

伝えるって

伝えるって難しい

伝わりあうのはもっと難しいなあ

2012年11月1日木曜日

風邪を引いた

風邪を引いた
頭がぼーっとする

急に寒くなってきたもんね

ちょっと最近頑張りすぎてたのかも

ヘク村はもっと寒いんだろうなあ


夏が思い出になる
この季節が嫌い

2012年10月27日土曜日

自己分析

シューカツ SPI じこぶんせき

改めて自分を見つめなおしてみると
心底明るい人間ではないなと思う

明るくできる人間なだけだと思う

楽天家で気にしない性格でもないと思う

フリができるだけだと思う
本当は意外と繊細


”優しい” ”人の気持ちに敏感”
そんな風に自分では思ったことなんてなかった

だけど、そうなのかな

ワークキャンプを通して
24時間一緒にいる生活を通して

みんなが笑ってほしいと思うようになった

気にしないフリをしても
本当は結構気にしてたりする

みんな仲良く
って難しいもんね

自分を見つめなおしてわかったこと

やっぱりFIがすき

2012年9月30日日曜日

せめて君だけは

せめて君だけは真っ直ぐ生きてほしいと思う
せめて君だけは自分に嘘をつかないでほしいと思う

君のために真っ直ぐ生きてみたいと思ったの
だけど、なかなかそれは難しいね

嫌なこともつらいことも
なんとなくごまかして私は今生きていて
君に誇れるような生活はしてなくて

だけど、私のわがままかもしれないけど
君には真っ直ぐ生きてほしくて
人を蔑んだり、見下したり
そんなことはしてほしくなくて
人生における選択しを増やしてあげたくて
もしかしたらどこかで
私を迎えに来てほしいのかもしれない

君は私の希望だから
せめて君だけは真っ直ぐに生きてほしいと思うの

2012年9月27日木曜日

本当はこれじゃないって分かってる
こんなんじゃないって

でも、楽しいふりをしてなんとか笑って
それでいいのかな

真っ直ぐに生きたいと思う
誠実でありたいと思う

でも、そんなの無理だってわかってる

”ゆとりの典型”そう言われても
ゆとり教育を望んだのは私じゃない

逃げてしまいたいなあと思う
現実と向き合いたくないと思う

でも、それじゃ生きていけないことも
自分が一番わかってる

騙し騙しやってきたものが
今、やっぱり痛い

2012年9月25日火曜日

夏が終わって

夏が終わって秋が来た
なんでこんなに淋しくて切ない気持ちになるんだろう

ワークキャンプという現実逃避から帰ってきたから?
ねえ、私はみんなに誇れるほど
真っ直ぐに生きていけるのかなあ

あれもこれもしたいし
しっかりしようと思うけど

まだバックパックの片づけさえ終わってないんだって

みんなのとこに帰りたいなあ

2012年8月3日金曜日

JENNY的食事論

しゃーっ!
準備キャンプの中国独自で食べる分のメニューできたぜっ!

5日夜 生姜焼き サラダ わかめスープ
6日朝 トースト オムレツ サラダ コンソメスープ
昼 冷製たらこスパ アボカドトマトのわさび醤油和え スープ
夜 タコライス ごーやちゃんぷる ゴボウと人参のマヨサラダ 玉子スープ

もりもり食べるのだっ!!!

―――

「食事って楽しいですか?」
「誰かと一緒に食べるのって嬉しいですか?」
「料理って作ると喜ぶ…ですか?
「碇司令、今度、碇君や皆と食事、どうですか?」

エヴァンゲリオン 破より

―――

最近、宝塚のエヴァ展行ってきたせいで
なんでもエヴァに繋げてしまうぜι(◎д◎)ノヾ

結局、ご飯ってみんなで食べるから美味しくて
みんなで食べるから楽しくて
そのためのちょっとした苦労なんかは
ごちそうさまの声ですぐに忘れられるものなんだと思う


ついに迫ってきたぜーっ!
夏のキャンプ!!!

2012年7月23日月曜日

一歩ずつなんだけど

4月からFIWC関西委員会の副委員長になって
少しずつなんだけど、理想の姿に近づいてきてる気がする

確かにまだまだ足りないところは沢山あるけど
そんなところも少しずつ改善していけばいいし

交流の家がみんなにとって
集まりたくなるような場所になればいいなって

もう少しがんばっていこーっ

2012年7月20日金曜日

なんとでもなる

7月31日ごろから8月10日ごろまで唐桑に
1年ぶりに突撃する予定!

なんか行ってやることあんのかなーって思って
電話したところ

「なんかあるよ!ジェニー来たら手伝わさせるからw」

いつでも帰れる場所があるというのは
なんだかとてもうれしいことだなあと

ボランティアとか旅行とかというより
久しぶりに地元に帰るような感覚

とりあえず、この夏は楽しみなことが
いっぱいありすぎる

9月15日から19日までは
去年キャンプをした韓国浦項のソンゴク村に
ジェジンハラボジの顔見に行くし

日本に、世界に、
元気してんのかなーって思える人が
沢山いて、それが幸せなんだと思う

2012年7月5日木曜日

原点に戻る

キャンプに参加したきっかけ?そんなの簡単で

ただ単純におもしろそうだったから


原点に戻ろう

おもしろそうだなっていう予感に流されてみよう
そこで何かが見つかるかもしれないから

だから、私は中国に行きます

2012年6月21日木曜日

あれもほしい、これもほしい

3年目の夏。何をするべきなんだろう。
悩んでも、誰かに頼っても、結局決めるのは自分自身で

そんなことを考えているうちに
やらなくてはいけないことは増えていって
思い通りにならないことばかりで

それでも、どうにかしなきゃいけなくて

自分にできることはなんなのだろうと
悩んでばかりじゃ答えはでない

2012年6月17日日曜日

交流の家のキッチンで

4月から始めた晩御飯計画も今回で3回目になった。今夜のメニューは手巻き寿司。あれもこれもと思うと、つい作りすぎてしまう。いつもは難しい話や熱い討論の場になる机だって、夕食の時間だけは家族団欒のような優しい空気が包む。

私に何ができるだろう。私は何をするべきなのだろう。最近ずっと悩んでいた。でも、ボランティアだとか、学生団体だとか、NPOだとか、ハンセン病だとか、なんだか難しい理由をつける前に、私はFIWC関西が好きで、だからこそ、みんなに会いたくなるのだと思う。好きな人に美味しいものを作ってあげたい、ただそれだけの気持ちで立つキッチンはなんだかとても暖かい。美味しいという一言がとっても幸せに感じる。

今日は梅酒を漬けた。3か月後には完成だ。梅雨が明けて、夏が来て、キャンプが終わって、少しだけ秋の匂いがする9月には、みんなで楽しく飲めるだろうか。そのとき交流の家の机を囲んでいるのは誰なのだろう。今よりも少し、沢山の笑顔が見られたらいいなあ。そのときも私は「ごはんできたよー」って笑って言えたらいいなあ。

5年後、10年後、20年後も交流の家のキッチンには、私みたいなキャンパーがいて、せっせと玉ねぎをきざんでいるのかもしれないなあ。



いろんなところに出かけたら、お土産話をよろしくね。

夜ご飯は交流の家で。みんなで一緒に食べようよ。

2012年6月14日木曜日

同じ方向を見て

みんなが只々淡々と真っ直ぐに同じリズムで行進をする必要なんてないんだけれど
疲れたときに、さみしいときに、楽しいことがあったときに
そこに戻ってきたくなるよな、そんな家を作るということが理想である。

ワークキャンプをする団体である。
ボランティア活動をする団体である。

でも、難しいことばかりじゃなくて
なんとなく寂しいから飲もうよでも
テスト勉強で頭がパンクしそうだからちょっとお茶でもしようよでも
なんでもよくって、心地よい関係が作れたらそれは幸せなんだと思う。

そんな団体にするために、私は何ができるのだろうか。

みんなが同じ山に登る必要はないけれど
ふと窓を見たときの青空がとても美しいことを
共感し合える団体にしたいんだ。

そのためにFIWC関西委員会には交流の家という
素敵な家があるんじゃないかな。

時にはぶつかることがあっても
同じ屋根の下、家族のように笑いあえるように。

2012年6月8日金曜日

結局

結局キャンプには行くんだけど
これでいいのかなって
どっかで思ってて

梅雨が過ぎてしまえば
キャンプの季節だと
自ずとわくわくしてくるのかなあ

きっと楽しいことが
待っているはずなんだろうけど

2012年5月23日水曜日

今年の夏はどこへ行こうか

ワークキャンプ

1年目の参加理由は【なんか楽しそうやん】
2年目の参加理由は【今年は私がキャンプを作りたい】

じゃあ、3年目の参加理由はどうしたらいいのだろう?

毎年行ってるから、そんなんじゃない
韓国語が話せるから、そんなことどうでもいい
去年総リーダーだったし、それは関係ない

中国キャンプの話を聞けば、中国キャンプに行ってみたくなる
でも、私は中国のことを知らない

インドネシアキャンプもいいなぁと思う
でも、私はインドネシアについて何も知らない


3年目ともなると、ワークキャンプの魅力について語ったり
勧誘することも慣れてきた

韓国語が勉強したいという子には、去年は何も喋れなかった子が
具体的にこれぐらい喋れるようになったよと言い

ボランティアに興味がある子には、ボランティアは自分が何かしてあげるんじゃなくて
それ以上に得るものがあるから楽しいんだと熱弁し

でも、本当は自分自身が一番迷ってる

今年のキャンプもきっと楽しい
今年のキャンプできっと新しいことを学べる
今年のキャンプできっと韓国語がうまくなる

きっとそうなんだろうけど、なんでこんなに迷っているのだろうか
本当はどこに行きたいのだろうか0

____


感染症医である高山義浩さんの
『海外でボランティアをしたい君たちへ

https://aspara.asahi.com/blog/border/entry/aJnyzOaVbX

2012年5月14日月曜日

母の日

やらなきゃいけないことはいっぱいあるんだけど
何をしたらいいのか分かんないよーヽ(`・ω・´)ノ
とりあえず、来週の定例会までにいろいろガンバろう!

今日は、5月の第2土曜日、母の日♪
去年の夏、気仙沼に震災復興のボランティアに行ったときに
出会った唐桑町のマドンナ!いちよさんにカーネーション送ったら
めちゃめちゃ喜んでくれてすぐ電話かけてきてくれた

春休み行くよ、ゴールデンウィークいくよ、がどんどん先延ばしになって
なかなか行けない気仙沼
東海委員会や関東委員会がちょくちょく行ってるの見るとほんまに羨ましい(´・ω・`)
やっぱり大阪から気仙沼は遠いなあって思うけど
東海の弾丸1泊2日ツアーとかみてると気持ちの問題なんやと思う

どうせ行くならせめて1週間は滞在したいと思う私はほんまに腰が重い…
でも、夏休みには絶対行く!
夏休みどのキャンプに行くか実は迷い中やけど唐桑だけは最低でも1週間は行きたいな
なんなら移住したいもんw
唐桑のためになにかしたいって1年住むって決めた子たちはすごいと思うと同時に
本当はめっちゃ羨ましい
私だったらそこまで覚悟できるのかな?

でも、ワークキャンプを通じて出会った人との関係は大切にしたいから
今回の母の日でもそうやけど、ちょっとしたことで大切な人が喜んでくれたら
それはとってもうれしいなって

いちよさんの電話で
「1年も来ないと忘れられちゃうから早くおいでー
あ、でもジェニーはみんな覚えてるから大丈夫かー」って笑って言われたけど
2週間程度しかいなかったのにそんなに覚えててくれることが
私もめっちゃ嬉しかったぜ(`・ω・´)

社会問題、差別への取り組み、ハンセン病、歴史問題、被災地復興、ボランティア…
ワークキャンプにはいろいろな側面があって、考え出したらなかなかうまく整理できないことも
いっぱいあるけれど、結局ワークキャンプを通じて大切だと思う人に出会えて
その関係がずっと続くならそれが全てじゃないんかなと思います
私は、ワークキャンプという活動を通して“人と人のつながり”ができることが理想だから
去年、総リーダーをしたキャンプではその部分を押し付けすぎちゃったかなとも思うけど
でも、”人と人のつながりを大切にしたい”というテーマはずっとぶれないでいたいなと思うのです


いちよさんのブログ
森屋水産 気仙沼つなぎ牡蠣の仕事
http://moriyasuisan.blog.fc2.com/

2012年5月6日日曜日

初キャンプ 【JENNY】

交流の家に着いて、みんなが揃ったところで
準備キャンプの始まり、始まり

とりあえず、やっぱり最初は自己紹介から

「関西学院大学国際学部1回の片井有紀恵です。
えっとーゆきえって韓国人は呼びにくいと思うので
なんかニックネームとかあったらいいなって思ってます」

「なんかJENNYっぽくない?」


【JENNY】

私は、FIWCでJENNYと呼ばれています
そのきっかけになったのが初めて参加した準備キャンプでした
いやあ、もう気がつけばJENNY歴3年目なのですね
こんな呼ばれ方になった理由はほんまに単純で
JENNYっぽいからです
どこがJENNYなのかは、名付け親に聞いてみてください
ちなみに名づけ親はジェシカです

でも、なんかJENNYって呼ばれだして3年もたつと
どんどんJENNYらしくなってる気がするのです
名は体をあらわすといいますが、間違いなく
FIWCにおける私は片井ではなくJENNYでございます






2012年5月2日水曜日

初キャンプ 【交流の家】

2010年、夏
何かに導かれるように、私はFIWCの新人キャンパーになっていました

韓国キョンギ道ヤンピョン郡サンロク村
そう、何かに導かれるように私はその小さな村に行くことになったのです

8月5日から8月18日までの15日間
あっという間だろうと正直、高を括っていました
本当はそんなこと全然なかったんですが


2010年、夏
ワークキャンプもハンセン病もFIWCも
何も知らない私がまず始めに出会った新しいもの

【交流の家】

交流の家と書いて「むすびのいえ」と読みます
1963年、ハンセン病快復者が宿泊施設の利用を拒否された事を知った
FIWC関西のメンバーが呼びかけ、奈良市の大倭紫陽花邑から土地の提供を受けて、
ハンセン病快復者と社会を結ぶセンターとして、1967年にフレンズ国際労働キャンプ
(FIWC)関西委員会によって建設されました。(参考mognet:http://www.mognet.org/index.html

韓国キャンプに行くための基礎知識の勉強と結束会のために準備キャンプという2泊3日の
集まりがあるのですが、その開催地が奈良県にある交流の家なのです

ちなみに交流の家、準備キャンプ以外にも月に1度の定例会が行われる場所であり
FIWC関西委員会の本拠地となっています


交流の家、名前の通り、家です
ちょっとレトロな昭和の香りは否めないですが、ちゃんとした家なんです
この家もFIWCが作ったんだよーと聞いたとき、なんだか私はものすごい団体に
参加することになってしまったんだと実感しました

だって、差別せず誰でも泊まれる宿泊施設があればいいなってところから
実際建てちゃいますか!?
しかも、建設当時のFIWCのメンバーは大工とかペンキ屋のプロ集団とか
そんなんじゃないんですよ
人間やれば出来るっていうけど、家も頑張れば建てれるものなんですね

鉄筋2階立て、3LDK、お風呂・トイレは勿論セパレート
女子トイレ・男子トイレも別々で、BBQが出来る庭も付いてるし
押入れもあって収納バツグンですし、キッチンも3口コンロでらくらく調理
そんな交流の家、出会ったときはビックリしたけど
今では落ち着く大好きな家となっています

2012年4月27日金曜日

韓国という国

「私、FIWCっていう団体でボランティアしててなー
FIWCってのは韓国、中国、インドネシア、フィリピン、ネパールとか
いろんな国でワークキャンプしてる団体やねんっ( ゚ω゚)/ 」

新しいキャンパーを集めるためにそんな話を大学の後輩たちによくしてます
そこで、返ってくる反応として多いのが

「韓国行ってみたいです!」

大学1回から韓国キャンプに参加している私としては嬉しい反応であります
ただ、最近すごく感じるのが日本の若者が韓国という国を
すごく友好的に好意的に考えるようになったんだなということです

私が韓国に留学しようと決めた高校1年生の夏
5年前、まわりの反応は「なんで韓国?」というものがすごく多かったのです

私の高校から非英語圏に留学しようとする生徒は今までいなかったらしく
先生方にも大反対されて、留学したいのならアメリカにしろと言われ…

当時、まだ韓国という国は一般的な日本国民には未知の国だったんですね

それがたった5年で本当に韓国のイメージが変わったなと感じます
それは、韓国ドラマブーム・歌手やアイドルの来日・メディアのごり押しなど
いろんな影響があるんでしょうが、まあ嬉しいことなんではないでしょうか

ただ私としては、なんだか不思議な感覚なのです





2012年4月7日土曜日

FIWCについて

1枚のチラシがきっかけとなり、気がつけばとんとん拍子で
私は初めてキャンプに参加することになりました。
2011年、大学1回生の夏休みのことでした。

今更ながらFIWCの活動について簡単に説明しておきます。、

FIWCとは
Friends International Work Campsの略であり、
1950年代より国内外でワークキャンプを行っています。
貧困や差別などの社会問題に対してワークを通して解決を目指す活動を行っており
私が参加した韓国キャンプでは、主にハンセン病回復者へ対する差別問題の解消を
目的としてワークキャンプを行っています。
韓国だけでなく、フィリピン・中国・インドネシアなどでもワークキャンプを行い
委員会も関西だけではなく、関東・東海・九州と全国にキャンパーが存在しています。
大学生の長期休暇にあわせて、海外に行くので参加者は大学生がほとんどですが
OB・OGの方もミーティングなどには顔を出してくれる方も多く、和気藹々とやっております。
また、海外のみに活動拠点を置いているわけではなく、阪神淡路大震災・東日本大震災が
発生したときには現地に向かいボランティア活動を行いました。

つまり、簡単に言いますと
全国の熱い人々が集って、頑張ってます!!みたいな
ワークキャンプラブ!!みたいな(´゚v゚`)


ほんで、ワークキャンプってなんやねん、
みんなでテント張ってカレー作るんかいって話ですが
まあ、たまにはカレーも作りますが、

ワークキャンプとは
自ら労働を体験しながら現地の人々と交流する国際交流やボランティアの形態。(大辞泉より)
FIWCのワークキャンプは、2週間~1ヶ月程度キャンプ地に泊り込み
井戸作り、道路の舗装、学校建設、草刈などの労働を通じながら
現地の人と交流するという形態になっています。

とにかく楽しくやってます( ゚Д゚)ノ






2012年4月6日金曜日

FIWCと私の出会い ♯3

一度決心すると私は結構アグレッシブな方だと思います。
アグレッシブというか本能のままに動きすぎなのかもしれませんが。

ということで、チラシをゲットした私はFIWCの説明会に向かいました。
ただ、大学に入ったばかりの私は遊ぶことに精一杯でありまして
説明会の前日も新しくできた友達と朝まで遊んでまして
そのときの格好がドクロ柄のカーデガンに黒のフリルミニ
そして、青のカラーコンタクトというホンマにこの人ボランティアとか
興味あるんですか!?って格好のまま説明会に向かいまして
眠い目をこすりながら一生懸命説明は聞いてたんですが
なにしろ睡眠不足なため愛想も悪く、とにかくあまり素敵な第一印象を
与えられなかったことだけは明確な事実でございます。
実際、このワークキャンプめっちゃおもろそうやん!参加しよ!って
思ってたのは私だけで、他の人からは全くそう見えてなかったようです。

そんな人間が今もこうしてFIWCに携わっているというのは
何か不思議な縁なのかもしれません。



説明会の話が出たので、今年の説明会についてお知らせしておきます(*`д´)b

5月26日(土) 15時より
中崎町 未生流会館にて

海外に興味がある!ボランティアしてみたい!差別問題に関心がある!
語学の勉強がしたい!何か新しいことに挑戦したい!
どんなきっかけでも歓迎です(´*ω*)
今年はどんなキャンパーと出会えるのか楽しみです


2012年4月5日木曜日

FIWCと私の出会い ♯2

そんなこんなでチラシをゲットした私ですが、そこに書かれている
「ハンセン病、らい病、差別、ワークキャンプ…」という言葉の意味を全く知りませんでした。

でも、なんだか夏休みに海外に行って現地の大学生とボランティアするとか
かっこいいやん!楽しそうやん!って思ってしまったんですね。

ただ、その海外というのが韓国だったことも私にとってはポイントとなっていたのは事実です。
私は、高校生のときに1年間韓国の金浦市に交換留学生として留学した経験があります。
留学当初はハングルも読めず、知っている言葉はアニョハセヨーとカムサハムニダぐらい。
今振り返ると、少しぐらい勉強してから行けばよかったと思いますが、当時は留学したら
勝手にペラペラになれると思い込んでいました。
それが大きな勘違いだと分かったときにはもう遅く、学校でもホームステイ先でもひたすら
勉強し続ける日々が続いたのですが...。

そんなこんなで、韓国やし、現地の友達も出来そうやし、なんかおもしろそうやし
ワークキャンプに参加しよう決心したのです。
何事もスタートは意外にも単純なものです。

2012年4月2日月曜日

FIWCと私の出会い

4月やし、スプリングやし、なんか始めてみようとブログを始めたけど
何を書けばいいのかな?(=´∇`=)
まずは出会いかな?春やしね、うん♪


私が、FIWCに出会ったのは2010年、今から2年前の春でした。
大学に入学したばかりで、何もかもが新鮮で、きっとこれから、とっても楽しいことが
待ってるんだと予感させてくれるようなぽかぽかした匂いのする春でした。

関西学院大学、綺麗な校舎と中央芝生が有名な大学に通う自分にまだ慣れてなくて、
毎日着て行く服を悩んだり、新しい筆記用具を見るたびに心が弾んでみたり。
そう、たぶん、どこにでもいる、ごく普通の1回生ってやつでした。

そんな私がFIWCに携わるきっかけになったのは、1枚のチラシ。
掲示板に貼ってあった手作り感あふれるチラシには
「韓国・ハンセン病・ボランティア・ワークキャンプ」というなんだか見慣れない単語がずらり。
そのときなんだかビビっときたんです。なんだか、面白そうだなって。
だから、私はそのチラシを破ってこっそり鞄に入れました。
このチラシが目に留まっていなかったら、私の学生生活はまた変わっていたことでしょう。

1回生のとき、ゼミの教授が人生にはぐるぐるとして渦に巻き込まれるときがあると
言っていました。
それは自分がどうあがいても逃げられないもので、その渦を境に状況が180度
変わってしまうようなそんなぐるぐるとした渦に巻き込まれるときがあると。
教授にとって、それは付き合ってた彼女が妊娠したことだと言っていましたが、
私にとってチラシを破ったことがそのぐるぐるとした渦に巻き込まれた瞬間
…だったのかもしれません。

これがFIWCと私の出会ったきっかけです。


ご挨拶

FIWC関西に所属し、もうすぐ2年。
気がつくと、私はFIWC関西委員会の副委員長になっていました(。・・。)

2010年に韓国キャンプに新キャンパーとして参加。
2011年に紆余曲折しながらも総リーダーを任されることになり、
その後、ちゃっかり唐桑にもお邪魔させていただきました。

そんな私のWorkCampについての熱い思い。
そして、あんなことやこんなことをこれから徒然なるままに
書きなぐっていこうと思う4月の春でございます。